CROSS ROAD

~AROUND 50 日々の暮らしと、あれこれ~

小山田氏の問題 追記あり

いよいよオリンピックが開幕ですね。
ふと、何年前だっけか7年?8年?ロンドンオリンピックの前だったのかな、今回の東京オリンピックの開催が決まったときテレビでニュースみて、夫とめっちゃ狂喜乱舞したことを思い出しました。彼はオリンピックオタクなんですよ(笑)ちなみに最初の観戦は24日(土)の横浜スタジアムソフトボールを予定してました。最初に払い戻しの案内が来た時、速攻払い戻し決定でしたね。夫は残念そうだったけど、さすがに絶対中止になると思ったし(←外れた)開催したとしてもコロナがそう簡単に終息するハズもないと思ったから、我が家の総意として、泣く泣く払い戻しで決定でした。

 

結果、正解だったと思うんですが、このオリンピックは本当になんていうか色々問題がありすぎますね。コロナでこんなことになって、ほんとに残念・・というだけなら、まだよかったけど問題が起こりすぎて、コロナが無くても手放しで喜べなかったんだろうなという気がする。

 

開幕直前に辞任するという小山田さんの件。
この人がどんな人で、どんな活動をしてきたのかとか、まったく知らなかったけど連日のニュースで、過去に、そのまた過去に陰湿ないじめを楽しんでいたかのような話を公にし、そのことで特段、炎上することもなく、着々と?キャリアを積み上げてオリンピック開会式の制作メンバーに名を連ね、自身の楽曲提供をしたところ、過去の出来事のために総バッシングを受けて追い込まれた、ということを、つい最近知ったばかりです。

 

「彼が虐めを楽しんだことを記事にした」雑誌の編集さんや、同じく「彼が虐めを楽しんだ記事」を特集した刊行物の出版社の社長さんや、本人が次々に謝罪して、ついにはこんな開幕直前にご本人もご辞退されたという流れで組織委員会任命責任を問うたり、なんだと、なんだか嫌な流れになっている気がする。

 

まず一つ。その記事は、果たして世に出るべきではなかった?私は、出版物というのは、いろんな見方の内容を出してもいいと思う。反面教師になることもあれば、問題提起になることもあるし受け止め方も千差万別なら、発信の形もいろいろあっていい。公序良俗に反するものは一切、公にすべきではないというのは、社会を歪にすると思う。

そういう意味で、編集さんや社長さんが謝罪するのは、なんだか違うと思った。どんなつもりで記事なり、特集なりを組んだのか、時代背景もあるだろうし・・商材である以上、その時、求められていたり、売れると見込んだ内容でもあったはず。読む人の何かを揺さぶりたい、とか、何か理由があってそれを是としたのではないのかな。

 

小山田氏自身のことについて考えると・・・少し前に「オリンピッグ」とか言って某女性芸人さんを起用して差別的な表現で演出した人・・誰だっけかな。・・も、同じように辞任に追い込まれていましたが、その時の問題で辞任に追い込まれた彼の場合と、小山田氏の件は根本的に問題が違うと思う。

 

ほんとうに、こういう炎上?バッシングは見ていて辛いものがある。
小山田さんはかなりひどいことを子供時代にしているようだし、大人になってからも
それを公にして笑いにしたりギャラを受けたりと、まあ、褒められたものではないけれども、だから今こうして、追い込まれるのは当然?というところに、違和感を感じない人が多いのが、とても怖いなと思います。

 

実際のところ、ああやって商材になるまでっていう過程でいろんな人の思惑が入ってきて、果たして本当に何の脚色もせず事実を明らかにしていたかどうか、っていうのも疑問だし、実際、書かれているママの事実が、当人の意識としても事実であったとしても、虐めた人間は虐めて良い、なんていう理屈はおかしいと思う。声高に謝罪を求めたり非難したりしている人もまた、いま虐めている側に立っているんじゃないかな。

 

世の中の人がみんな、この小山田さんがしたっぽいことに憤りを感じているなら、そして、そんな人として問題だと言い募る気持ちを持っているなら、どうして世の中に、いじめは存在するのだろう。私も子供時代に虐められたことがあるけど、見て見ぬふりの人ばかりだったし、こんな義憤をいじめっ子にぶつけてくれる人は大人も含めていなかったけどな・・・。

 

過去の記事が公に出た時点で、その当時の人たちはどう受け止めたんだろうか。その時に責めるべきだと言っているのではないですよ。過去のそんなことを書いていたと、昔から知っていた人は、その時、声を挙げなかったのはなぜ?オリンピックの開会式の制作にかかわるなんていう栄誉?が無ければ、放置できたの?声を上げたけど、今ほど世の中にガツンと響かなかったということなのかもしれないけれども、まあなんていうか、いつまでも、【あの時、あんなこと言ってたよね?その口で、それ言う?】みたいな言質取って責めるみたいなのは、ナンセンスだと言いたい。

 

 

それに、この問題で【今】、小山田氏を責めることができるのは、当時虐められた被害者だけだと思う。

当事者でない「虐め問題」に対して、私たちにできるのは、
「他人を虐めるのは間違ってる」と、いじめている人間に意見すること、議論すること、あるいは、「虐められて辛い思いをしている人」に手を差し伸べること、いじめに同調して笑ったり楽しんだりしないこと、虐める側の人間に加担しないこと、いじめを認めないこと、可能であれば共に闘うこと。

そのくらいしかないのでは?それに、「虐められて辛い思いをしている人」に、今、見ず知らずの世間の人からバッシングを受けてる小山田さんを含んではいけない理由はないですよね?

過去に虐めた人間は、虐められても良い?
過去に虐められた人間は、他人を虐める権利を得る?
過去に一度も虐めたことがない人間は、虐めをした人間をつるし上げることが許される?

そんなわけないだろうというのが、私の考えです。

 

小山田氏がご自身で話したことが記事になっているのかもしれないけど、実際、多少の脚色もあったかもしれない。それは商材に書かれている記事なんだから、素材である小山田さんの話だけじゃなくて作り手の思惑もあっただろう。売れ筋とか、受けも狙ってたんだろうし、書かれていることすべてが必ずしも事実ではないかもしれないし、事実だったかもしれない。でも、相当の時間が経過しているんだし、今の小山田氏のすべてを否定することはないと思う。

 

なぜなら、人は間違いを犯すし、残酷なこともする。誰もがそうだと思う。長い人生で、生まれてこの方、人道に悖ることをしたことがないという人間なんかいない。それでも、人は反省したり、追い詰められたり、悩んだり、赦したり赦されたりしながらまっとうなこと、良いことも織り交ぜながら、生きていくものだと思う。多様性って、そういうことでもあるんじゃないかな。

 

今の社会、ネットで検索したらなんでも出てくるところがあるし、ちょっと頭角を現したら、過去の何か過ちを見つけられて袋叩きになるんだとすれば、誰も何もできないし、誰にとっても、明日は我が身じゃないの?

 

長々と書いてしまいましたが、私は赦し赦される社会に生きていたいというのが、ポイントです。

 20210722追記

ブックマークありがとうございます。コメントをいただいた中で、ご質問いただいていたのですが、はてなブログが初心者すぎて、どうやったら返信できるのかわからず・・・追記の形でコメントさせていただきますね。

future-reading あたなは自分のウンチを食べさせられて、何度も暴力を受けて、それを嘲笑して、それを雑誌で自慢しても、一度の紙の上での謝罪で許せるということでしょうか? https://future-reading.hatenablog.com/entry/2021/07/19/135714

 

ブログ拝見しました。どんな記事であったかを、はじめて知りました。酷いですね。この記事の当時の彼については、私とは理解し合えない思考を一部、持ち合わせた人なんだなと感じます。「これが自分の体験だったとして、許せますか?」と言われたら、許せないです。※漢字を厳格に使っています。でも赦すことを自分に課したいと思います。私自身がイジメにあった時のことを考えたんですが、(肉体的というより、精神的なイジメでしたけど)時間はかかりましたが・・・・そうしないと、前に進めなかったし、世界は他にも広がっていることに気づけなかったと思います。

※許すと赦す、漢字の違いについては、もうひとつコメントをくださっていた方が書いてくださっていまして、私の認識と近かったです。

philia0 許すって、加害者が反省して謝るから許す、という受動的なものだと思うと、期待通りに謝罪してくれる人なんか万人に一人もいないんだから、ずっと苦しいままになる。赦すっていうのは自ら執着を手放す能動的なもの。