CROSS ROAD

~AROUND 50 日々の暮らしと、あれこれ~

TimeTrip日本の海岸線~伊能忠敬の軌跡 ※BSフジ 20210613

世界遺産オタクな夫が、何の気なしに録画してた番組。

「TimeTrip日本の海岸線~伊能忠敬の軌跡」

 

めっちゃよかった!

伊能忠敬って私、幕府の役人だと思っていたんだけど

商人だったんですね。※測量の実績を認められてのちに幕臣になるようです。

旗本って言ってたかな。

 

49歳で家督を嫡男に譲って隠居。

この年で隠居出来たら、人生2倍楽しめるよね!なんて呑気に見てたら

なんと50で19歳も年下の天文学者のところに、弟子入り!

 

子供のころに夢見ていた天文学への扉を開いて、っていうところより

いい年したおっさんが、30そこそこのお兄ちゃんを師と仰いだところに

ガツンと殴られたようなショックを受けました。

そんなの、なかなか難しいんじゃないかな。すごい人だな。

 

若いころは商才があった忠敬さん。がっぽり稼いでいたようで、

天文学の勉強を始めてから、当時最新の観測機を導入して

めっちゃのめり込んでたらしいです。

そんな楽しい第二の人生で、ある時、お師匠さんから聞いた

正確な緯度1度の距離がわかれば、地球の大きさがわかる、

という言葉が転機になります。

 

江戸から蝦夷地(北海道)くらいまで測ったらなんとかなるんちゃう?

っていうお師匠さんの言葉に、居ても立ってもいられません。

当時は、たぶん藩をまたぐ移動は通行手形とか必要だったんでしょうね、

そう簡単には、やってみることもできません。

師匠の奔走もあり、幕府の許可もなんとか得て、

親戚の子?5人くらい連れて、地道に歩測しはじめます。

この時、たしか55歳だったかな。

これが第1次の測量の旅。親戚の子も良く付き合ってくれたよね(笑)

以降、第10次までに全国測量行脚を繰り返して

ついに、めっちゃ詳細で、今の日本地図と大差ないレベルの

精密な地図を作り上げる。しかも手書きで!(手書きしかないだろうけど)

隠居後ですよ?体力も年々衰えてくるだろうに、

気力も尽きることなく・・・全く、驚異的ですよね。

 

蝦夷地までの地図(第1次)から、評判は上々で、

幕府から全国の地図を作ってほしいと頼まれるんだけど、最初は自腹で

ほぼボランティアだったというから、さらにすごい。

※後半(西半分)は幕臣になって大規模な測量隊を率いていくので

 さらに細かいすごい地図になっていってます。

 

徒歩で近づけない断崖絶壁とか島とかは、船を出してロープを使って

なんちゃらとか、泳いでなんちゃらとか、富士山が見える角度?とか

なんかほんと、すごい工夫して緻密に割り出す作業をしていたようです。

 

こんな弟子、応援したくなりますよね?

お師匠さんは、忠敬が蝦夷地までの距離を実測した数値から割り出した、

緯度1度の距離が正しいことを証明するために、

オランダから取り寄せた専門書を翻訳しまくる、など

やっぱり命がけで取り組んだ結果、道半ばで絶命・・。

忠敬さん、号泣です・・。

 

いろんな苦難を乗り越えて、ついに第10次の測量で、

日本地図が完成するわけですが、第10次の旅は、忠敬さんはお留守番。

老体に鞭を打って、打ってして‥といっても、すでに70台・・

日本地図が完成する3年前に、命の灯が尽きてしまいます。

完成図を見たかっただろうな、と思います。

 

お墓は、本人の生前の希望で、お師匠さんの隣に墓を作ってもらったようです。

深い絆だったんですね。

 

現役引退してから、悠々自適の趣味生活・・だったのが、

結果大変なことになりましたが、楽しかっただろうなとも思います。

 私はてっきり、若いころから取り組んだものだとばかり思いこんでたけど、

50過ぎて、天文学を学びはじめ・・って!え?そこから?っていう衝撃。

いやあ、いい番組を見せてもらいました☆

 

私もまだまだ、これから頑張ろう・・・。